日記10/7

ツインルームを取ったのに「寂しいから」という理由で妹のベッドに入れてもらった成人女性が寮で1ヶ月一人暮らしなんてどんな冗談だ。

現在、フィリピン・セブ島にて英会話学校に通っています。一念発起して計画したものの、申し込んだ直後からDepartureの時のことばかり考え続け、1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ。とうとう出発の日が来てしまいました。家大好き、家族大好き(気づいたら家族のエピソードトークをしているので開き直ることにしました)な私がなんで1ヶ月も家から離れなきゃいけなんだよ、誰が勝手に航空券取ってんだよこの野郎。キャンセルしたらキャンセル代旅券の全額払わなきゃいけないタイプの航空会社だったから、予約する時ほんとに逃げ場を自分で塞ぐ感覚がものすごくてとてつもなく嫌でした。

でもほんとに喋れないので仕方ない。流石にもうちょっと英語喋れた方がいい。仕方ない。

1日目は移動疲れと「これから1ヶ月家帰れないんだ」の絶望で辛くて両替にもいけず、昼を抜き、夜は持ってきた即席味噌汁一杯のみで済ませました。ひもじくて胃も心もシクシクでしたが、空腹よりも精神的疲弊の方が勝り、とりあえず眠りました。寮のベッドがダブルベッドのなのでそこは嬉しい。寝返りをうちまくっている、眠れないから。

ところで、どうして海外ってほぼ全ての国で同じような匂いがするのだろうか。小さい頃行ったベトナムとマレーシアにもどことなく似ている雰囲気があるのは同じアジアだからわかるのだけれど、スーパーの匂いとか道歩いてる時の匂いとかメキシコと似てる。スーパーとかメキシコのウォルマートと同じ匂いがする、なぜだ。タクシーに乗ったら物売りの人が近づいてくるので彼らから頑張って目を逸らしたり、後ろポケットに携帯を入れないように警戒するとか、久しぶりの感覚。フィリピンにはスペイン植民地時代があったため、言葉にもその名残が残っている。思わぬところでメキシコとの共通点を見つけた。メキシコ行きたい。

そう思うと、日本は違いすぎる。あまりにもきれいすぎるし、静かだし。同じくらい湿気てるのに同じような匂いもしないし。あと、おかしいくらい飯がうまい。変な国。

近くにあるデカいモールにDaily Queenがありました。メキシコいた時行ってたな〜と思ったので、週末にでも行こう。

びっくりするほど消極的なので、まじで平日は学校を頑張って、週末は最低限食事を確保して部屋に引き篭もる生活になりそうです。もったいないと思われるかもしれないけれど、勉強しに来てるので頑張ってやり過ごそうと思います。

我ながら誰かに強制されて嫌々来てるみたい、自分で決めて来たのに。この4週間の間に心境の変化は訪れるのでしょうか。

 

ところで、急に冒頭の話に戻りますが、私は空港でDepartureの文字を見たら毎回globeの「Departures」を熱唱するというルールを自分に課している。でも流石に1人でやるのはキツすぎるのでできなかった。私は弱い人間…。

 

皆さんは私が10月に食べられない分、かぼちゃ味やさつまいも味の美味しいものをたくさん食べてご自愛ください。では。

スーパー切実シンキングタイム

参議院選挙が終わった。

選挙権を得てから何度も選挙を経験したけれど、今までで一番辛い選挙だった。

未来のための議論に充てるべき労力と時間が、当然否定されなければならない外国人差別を否定するために費やされた。

外出するのが怖かった。家族が外出先でひどい言葉に出会うのではないかと辛かった。特に、参政党党首から発された韓国人への差別語が飛び出たことは大きい。私はあの発言が出た時を映した動画を再生することが今もできていない。笑いながら話す党首とその発言を一緒になって笑う聴衆を、映像として記憶することを強く拒んでいる。おそらく家族は全員その件を知っているだろうが、今日まで1度も話題に上がっていない、上げることができない。あまりにもひどい。

 

私の好きなゲーム『魔法使いの約束』に差別を取り上げたストーリーがある。魔法使いが人間たちに差別を受けていることについてある1人の魔法使いは、人間たちは魔法使いを恐れている、家族や大切な人を守るために私たちを警戒しているんだという話の中に次のセリフがある。

「どんな間違いにも愛はあるし、どんな正しさにも暴力はある。」

魔法使いを恐れて攻撃的になるのは、大切な人を守るための愛によるものなのかもしれない。魔法使いを差別することを人間たちは正しいとしているが、それは暴力でもある。当時読んだ時はなんて俯瞰の目があるキャラクターなんだ、そういう見方もあるんだと思っていた。でも今のこの外国人へのヘイトが高まる様子を見ていると、このセリフを疑いたくなってしまう。

愛なんてあるだろうか。家族や大事な人を脅威から守るために脅威”かもしれない”人々を恐れ、差別すること、そして彼らを嘲笑する言葉を用いてみんなで笑うこと、それを止めないこと。そこに愛などあるだろうか。本当に正しいと思うのか。ならなぜ今までしてこなかった?正しくないと知っていたからではないのか。知っていたけれど、メディアや極右政党が大声で言っているのを聞いて、こういうこと言ってもいいんだと思ってしまったからではないか。愛も、正しさも、どこにも何もない。あるのは主体性の無さと果てしない醜さだけだ。

 

私は今、世界が憎い。立場の弱い誰かを攻撃して死の恐怖を感じさせるこの世界が憎い。差別や虐殺を止められないこの世界で生きている自分自身も憎い。でも難儀なことにこの憎らしい世界は、私に優しくしてくれる時もある。それこそ『ザ☆ピ〜ス!』の歌詞みたいに好きな人が優しかったり、大事な人がわかってくれたりする。踊り出したいくらい美味しいものや、文字を追うごとに出会えたことに感謝したくなるような物語がある。それらをこの世界で受け取ることのできる自分自身がいる。この世界が好きだ。世界が愛しくて憎い。どちらでもあり、どちらでもないのだ。

どちらでもあり、どちらでもない、そんな曖昧な存在は私自身でもある。自分のアイデンティティや国籍や食生活やなんやらかんやらは、日本人だし、日本人じゃないし、韓国人だし、韓国人じゃない。曖昧な状態は何かが止まっているような感じがするし、ずっと動いているような感じもして、よくわからない。ずっと自分が誰か考えている。自分という曖昧なものが一番近くにいてずっと一緒に生きている分、曖昧なものとただ一緒にいることには慣れているみたいだ。

何かを言い切ってくれたり、スッキリさせてくれると安心する。でも、言い切って、切り離したものは本当に不必要なものだろうか。スッキリするために何を取り除いたんだろうか。

切り離したり、取り除いたものが招いたのは、今回の選挙でターゲットにされた在日外国人やその家族が抱いた恐怖、発達障害なんて存在しないと誤った情報を流された当事者たちの苦しみなのではないだろうか。誰かを切り捨て始めると、その切り捨ている相手や集団の対象は拡大していく。誰もが、差別や排除の対象となる可能性がある。読んでくれているあなたも、例外ではない。

曖昧なものを曖昧なまま受け入れることは簡単ではない。だが、曖昧であることで2つのものの間に何か別の新しいものが生まれて、それが次に繋がるかもしれない。曖昧なものを噛み砕いて考えていく中で、知らない味を感じるかもしれない。曖昧であることを受け止めて、曖昧さについて深く考えてほしい。

ただし、考える時に大切で決して曖昧ではないことがある。

どんな差別も許されないこと、全ての人が基本的人権を持っていて平等であることだ。

あなたも、あなたの家族も友達も、民主主義を担う全ての人がその責任を果たし、平和や平等といった綺麗事のような理想目指さなければいけないと今強く感じる。たくさん考えてほしい、自分で。簡単に噛み砕かれた言葉に飛びつかないで。私も学ぶこと、考えること、話すこと、聴くことを諦めないでいるから。

まとまらないまま書きなぐる

教育実習終わった!!!やったー!

実習終わって嬉しかった時、朝早く起きなくていいからまどろんでる時、全然やってなかった家事やってる時、誕生日祝ってもらった時。ここ最近こういう楽しかったり嬉しかったり普通に生活している時にもずっと「私は殺されるなら何番目かな?」という不安が頭から離れない。外国人への差別が多すぎる。

テレビにも新聞にもSNSにも差別が溢れている。毎日毎日包丁みたいな言葉が目に入ってくる。一つ見聞きするだけで十分苦しいのに、1回スクロールだけで1個以上は外国人への差別的な投稿やそれを注意する引用がドカドカ流れてくる。

私はハーフだけど、外国人差別のターゲットの一部ではあると思う。私は見た目に外国人っぽくはないし、ただ普通に生きてて言う必要ないからハーフですって言ってないだけで「騙した」とか言われる日が来るのかな。ただ差別が嫌なだけなのに「本当に日本人?」とか言われるのかな。

今これ読んでくれてる人は多分こんなこと考えててこいつ大丈夫かな?って心配してくれるような人ばっかりだと思うんですけど、正直大丈夫ではないです。存在してるのがしんどいです。誕生日の翌日にこんなこと思わせないでほしい、このクソファッキン世界。

なんでこうやって沈みきってるのに、わざわざこんな自分でも傷つくようなことを書いているかというと選挙があるからです。今まではとにかく投票に行ってほしいなって投票を呼びかけるポスターとかをストーリーにあげるとかしかしてなかったんですけど、それじゃ多分足りない。国民主権を無視して、外国人差別女性差別をする政党に絶対入れて欲しくないから自分に鞭打って書いてます。これ書きながら震えてます。

今ターゲットにされている外国人には選挙権を持つ人がほぼいない。永住権を持っている人はずっと住めるよって権利を持ってるだけで、選挙に参加する権利は持っていない。「差別しないで」という意見を投票として伝えることが彼らにはできない。辛い。選挙権を持っている人がちゃんと選挙に行って差別はダメだと訴えている、ファーストとかセカンドとか人間に順番をつけないところに投票して「差別はいけない」って伝えてください。

お願いだから、ちゃんと自分の頭で考えてほしい。差別は絶対にだめ、人を殺すから。誰かを差別すればいつか自分も差別される側になる、差別と関係がない安全な人なんていない。ていうかこの差別を放置したらいつか絶対どんな人にも矛先が向く。差別ってキリがないから、この集団がいなくなったら次、次もいなくなったらまた違う集団って矛先を変えていく。そこに信念なんてないから、差別できるなら相手は誰でもいいから。

お願いだよ〜〜〜〜〜〜!私に自分の存在を否定させないでくれ〜〜〜!!!

日記3/8

旅行が嫌いだけれど、去年伊勢志摩に行ったことで調子に乗ったので横浜に行った。妹が文豪ストレイドッグスが好きで、その舞台が横浜なので行きたいとのことでノリでついて行くことにした。本当に3歩歩けば文ストゆかりの地にぶつかる。思う存分写真撮ればよろしいやないの、いくらでも待つよ…というスタイルで付き合った。加えて、妹に勧められてぼちぼちやってるソシャゲの舞台も横浜なので、旅行までに200話以上あるメインストーリーを根性で読み切った。

スーパー都会っ子だと自負しているので、都市から都市へ行ったところで大した感慨もなく「なんか見たことある”ばかうけ”みたいなビルほんとにあるな〜」くらいの感想しか出ない。

中華街へ行った。神戸の中華街も行ったことがないので、初中華街。ところで私はごま団子が好物だ。特に中の餡もごまのものが一番好き。でもこれがなかなか無いのです、普通のあんこのやつがスタンダードなのだと思う。いたるところにある看板の写真も、どう見ても普通のあんこだし、むしろ断面の写真がないやつのが多いし、ごま餡のごま団子を探すのは至難の技であった。唯一見つけたのは、普通の・さくら餡・ごま餡が3つセットで串に刺さっているやつ。さくら味があんまり好きじゃない。さくら味ってなんやねんといつも思っている。

妹が角煮まんを注文するというので、ついでにその店のごま団子の様子を聞いてきてとお願いした。そのお店のごま団子もやっぱり普通のあんこだった。それに対してお店の人が「ごま好きなの?」「他のお店も探した?」と言うので「探したんですけど、他の味とセットで出してるお店しかなくて…」と答えると「じゃあ、ちょっと全部ごまで作ってくれるか知り合いの店に聞いてくるね」と言ってくれた。優しさに戸惑いつつ、お願いしたらすぐに帰ってきて「できるって!何個欲しい?」と聞かれ、すでに他のものを食べた後だったので本当は1個で十分だったけど、せっかく融通効かせてくださったので3個お願いした。「今揚げてるから10分くらいしたらここに戻ってきて、もらっといてあげるから」と言われたので、角煮まんを食べつつ待った。食べていると「せっかくなら食べたいもの、食べたいもんね!」と声をかけてくれた。時間がまだあったのでちょっと周囲を見物して戻ってきたらお客さんがいて、すぐにもらえそうにないなと思っていたら、普段は閉めているであろう窓をわざわざ開けて渡してくれた。

ねぇ!!!やさしすぎるってーーーーーーーー!!!

このことずっと忘れないと思う。というかちょっと泣いた。初対面の人間に対するこんなに気軽な優しさがありますか。気負わない感じで「すぐできるしやってあげよー」くらいの、これが優しいとも自分で思ってもなさそうな優しさに胸を打たれてちょっと泣いた。いっぱいありがとうございますを言ったけど、全然足りてないよ〜。あっつあつで甘くて美味しかった。

 

他にも、いつもなら高いところなんか登ってどないすんねんと思って行こうとも思わない展望台に好きなゲームがコラボしてるのを急に知ってノリで行って、いつもならなんでわざわざさっきまでおった場所まで横移動で戻らなあかんねんと思って乗ろうと思うわけがないロープウェイに乗った。絶対NCT Dreamと同じ券売機でチケット買ったと思う(ミーハー)。

お土産屋さんで横浜なのに東京土産も売ってて、butterbutlerが売ってたので買った。食べるの楽しみ。

他にも優しい人といっぱい出会えて、なんかいつも世界を嘆いて呪ってるけど祝福したくなりました。世界を愛してます。

 

それでは。

『これからも応援してください!』と『一生推す!』

どんなものにも終わりがある。それを事実として知っているか、経験として知っているかには大きな違いがあるだろう。

自分の中にあった、消えるはずがないと感じていた熱意が消えるのを身をもって知っている。約10年も好きだったアイドルへの熱意が失われてしまったことは私にとってとても大きな経験だ。

 

好きなゲームと同じシナリオライターがストーリーを担当しているからと、アニメ『アイドリッシュセブン』を見た。原作ゲームにおけるメインストーリー3部にあたる内容までアニメ化されており、続きが気になったので原作ゲームで4・5部を読んだ。現在6部まで配信されている。(6部、大切でもったいなくてまだ読めない)(追記6/18:6部まで読んだ。『TOMORROW EViDENCE』、大切。)

アイドリッシュセブン』は、小さな事務所の新人アイドルグループ・IDOLiSH7がTRIGGER、Re:vale、ZOOLら他のアイドルグループたちと切磋琢磨してトップアイドルを目指す物語だ。

idolish7.com

まず面白かったのが、アイドルを応援したことがあるならば、身に覚えがあるような場面がたくさん登場するところ。例えばライブシーンなんかを見ていると「自分が現実で没入して楽しんでいた空間を冷静に分析してアニメとして完全再現されている…」と居た堪れなくなるほど恥ずかしくなる。メンバーの1人がドラマに出演することになり、その主題歌をそのメンバーの所属グループが担当したりとか、深夜帯っぽいゆるい番組で大掛かりなドミノに挑戦したり…心当たりがありすぎる、知ってる記憶すぎる。恥ずかしい。

作品には芸能界を駆け上がっていくストーリー、個性豊かなキャラクターの成長やそれぞれの所属するグループの関係性などのおもしろさがあるが、何より引き込まれたのが登場人物から発される”アイドル”に関する考え方、特に”アイドルとアイドルの終わり”についてだ。

物語の中で何度か繰り返されるのが、永遠や一生といった“終わらないこと”を示唆させる言葉である。物語中盤、あるグループのマネージャーは担当アイドルに対して「理想のアイドルとは、終わらないアイドルだ」という言葉を伝える。その言葉を受けたアイドルは終わらない夢、醒めない夢を観客に見せようとステージに向かう姿が描かれた。

でも私は終わらないものなどこの世にはないことを知っている。いくらアイドル自身がアイドルでいることを続けても、ファンがファンでなくなる時が来ることがある。そしてアイドルがアイドルを終わらせないということは、人生をアイドルでい続けなければいけないということでもある。人は流動的で、昨日とも明日とも今日の自分は違う。だから物語で提示された理想のアイドル像に苦しくなってしまった。終わることはそんなにいけないことだろうか。

物語が進むにつれ、“アイドルの終わり”というテーマが本格的に話に登場するようになる。中でもIDOLiSH7のセンター・七瀬陸が同じグループのメンバーである和泉三月と話すシーンで言ったセリフに大きく心揺さぶられた。

いつか、終わりがやってくる。そう思うからこそ、どうしようもないほど愛しい。

オレたちは死なない星じゃない。限りある時間を生きて、かけがえのない時間を過ごしてる。

みんなと笑い合って、眩しいライトの下で、二度とない瞬間を生み出していく。

永遠より、この毎日が奇跡だ。(第5部13章3話)

約束された永遠などありはしないのに、終わりを否定するのはあまりにも苦しい。物語で提示された永遠を否定し、だからこそ愛おしいと話すこのシーンに、瞬間の輝きへの肯定を感じた。終わることは決して悪いことではないと嬉しくなった。

 

話は変わるが、私は自分のSNSの過去の投稿をアーカイブからよく見る。高校時代の投稿なんかを見ていると当時好きだったアイドルに対する「一生推す」とか「ずっと好き」のような言葉を見つけることができる。今思うと、よくそんなことが言えたものだ。終わりを経験したことで、この自分の発した言葉に冷たい視線を向けてしまう。アニメを見てから、自分の過去の言葉たちを苦々しく振り返ることが増えた。

複雑な思いのままストーリーを読み進めていくと、ステージ上でファンの歓声を浴びているアイドルたち一人一人のモノローグが綴られるシーンがあった。その中の1人、ZOOLの狗丸トウマのモノローグに釘付けになった。

一生好きだと言ってくれた人も、いつの間にか、いなくなってた。

だけど、それは悲しいことじゃない。見捨てられたわけじゃない。

永遠なんてない世の中で、俺たちに永遠を感じてくれた たしかな瞬間があった。

(第5部15章4話)

狗丸は過去に所属していたグループが解散し、改めてZOOLとしてデビューした背景を持つ、アイドルとしての喪失を経験したキャラクターだ。そんな彼がファンの感じた永遠を時を経て信じられたシーンだった。

そしてこれは、過去の私と今の私も受け止めてくれた言葉にもなった。永遠などないのに永遠を口にした自分を軽薄だと感じて辛かった。現在応援している好きなアイドルがいるが、ライブで『これからもずっと応援してください!』と言われるたびにどこか後ろめたい気持ちがあった。でもこのモノローグを読んで、当時は本当に「一生推す」「ずっと好き」と感じていたと思い出した。それに今もアイドルを好きでいることを後ろめたく感じなくてもいいと勝手に救われてしまった。ありがとう、狗丸トウマ…。

その後、ステージを見ているファンのセリフが続く。

好きなものが変わったとしても、趣味が変わったとしても。きっと、死ぬまで覚えてるよ!

だって、ただのライブじゃなくて、私の人生にとっても、すごく大事な瞬間だった……。

そう思えるから!

きっと、この景色は、私が死ぬ日まで、ずっと、私の中に一緒にいるんだ!

(第5部15章4話)

永遠を感じながら、同時に終わりを意識する。そんな相反する感情をアイドルを応援する時に感じる。もうファンではないけれど、過去応援していたアイドルのライブ映像を気まぐれに見ると、今でもその時のことを思い出して「本当に楽しかったな」としみじみ思う。いつも感じるわけではなくなったけど、当時の喜びは心の引き出しに仕舞われていて時々取り出せる大切なものになった。ファンではなくなっても、たとえ思い出さなくなっても、”私の中に一緒にいる”、心の中にきっとその瞬間のきらめきは残り続ける。

『これからもずっと応援してください!』なんて、きっとアイドルの方が終わりをシビアに意識しているはずだ。それならこの言葉は祈りに近いものなんじゃないだろうか。“ずっと”なんて無いけれど、その瞬間にそれを信じたくなる時間が流れている。ファンもアイドルを見て、その姿に永遠を信じて願って、叶わないと知っていてもなお『ずっと好き!』と祈るのだ。一緒にいる時間、空間、瞬間に永遠を夢に見る。

 

 

まだストーリーを最後まで読めてないけど、すでに読んでよかったと感じる。アイドルを応援したことがあり、ファンをやめたこともある私にすごくハマる物語だった。終わりは悲しいことじゃない、終わりがあるからこそ今が愛しくて大切になるんだね…(大泣き)

しかし、これはフィクションの物語なわけだけど、自分とメンバーとファンと関わる全ての人のデカすぎる思いを背負ってパフォーマンスする現実のアイドルたちは本当にすごい。アイドルってなんて大変な職業なんだ。

今月公開1周年を記念してライブ映画が復刻上映するみたいなので見に行くつもりです。IDOLiSH7たちの瞬間の輝きを焼き付けに行きます。てか〈DAY1〉と〈DAY2〉でセトリ違うの!?両日『SECRET NIGHT』あるよね!『太陽のesperanza』してくれ!

(追記 6/18:どっちもセトリ落ちしていた。こうなったら意地でも『シクナイ』聴きたいし、それを言うなら『願いはshine on the sea』も『diamond fusion』も『in the meantime』も聴きたいです。大好きだ、TRIGGER。あとŹOOĻの『ササゲロ -You are Mine-』のステージが見れたの本当に宝すぎる。曲の入りの着信音聞いた瞬間、座席から崩れ落ちた。御堂虎於、お前は最高。)

 

この世のアイドル、存在してくれてありがとうね〜〜〜!!!!!

献血行こうぜ

この3ヶ月で2回も献血に行った。

初めてというわけではない。ただ前回からは3年ほど期間が空いている。それなのに急に行く気になったきっかけは免許試験場での一件である。

前に書いたように、免許試験場は待ち時間がとてつもなく長い。そんな待ち時間を有意義に使うべく、建物には献血ルームが隣接してある。時間はたっぷりあったし、スタッフの方が大きな声で協力を呼びかけているのを無視することができなかったので、行くことにした。

しかし、その時はしなかった。というか、できなかった。

そこで呼びかけていたのは400ml献血だったが、それには体重制限があり、私はそれに満たなかったので今回はごめんなさいとのことだった。注射嫌いが意を決して赴いたのに、肩透かしを食らった気分。

こうなると意地でもしたくなって、後日お出かけついでに成分献血をしたのだった。私の体重では200mlか成分献血に協力することができる。成分献血は血液から必要な成分だけを抜き取って、抜いた後の血液は本人に戻すというもの。なんだかSFチックで面白いのでこっちを選んだ。大きくて仰々しい機械にゴウンゴウンと大層な音を出しながら血液が通っていく様が面白かった。

これで一気に私のなかの献血ハードルがグッと下がったので、これからもたまに行こうかなと思ったのだった。

 

 

 

…まるで善意100%のように書いている。実際は煩悩の塊だ!

免許試験場の一件があってからずっと献血ルームに行こう、行こうと思い続けていた。だが、「やっぱり注射怖いな、あの時は目の前にあって思い切りが出せたっていうのもあるしな…」とうじうじしていた。

しかし、そのタイミングでソシャゲで推しのSSRガチャの告知が発表された。

もう献血に行くしかない。

そう、献血に行くことで自らの善ポイントを上げ、どうにか推しが出るように運を向けたいと思ったのである。目的が手段になってしまった瞬間だ。

そして、まぁ、なんと幸運なことに、推しを引けてしまったんですよね。

で、また2ヶ月後にまた推しがガチャにラインナップされてしまって、「じゃあ、行くか…」となり、行った。そしてまた、引けてしまった。(バカみたいに、システムリセット時刻の午前4時にガチャを引くと排出率が高まる、という都市伝説を信じて実行したのもあるかもしれない)(本当に馬鹿すぎる、自分でもドン引きしてる)

とにかく、この成功体験によって、推しがガチャにラインナップされたら献血に行くことが私にインプットされたのであった。ハァ、大馬鹿者。

 

2次元3次元問わず、オタクはなにかと強制的な運試しに参加させられる。

ソシャゲのガチャやコンサートチケットの当落、ランダムグッズ、イベント日付指定先行入場抽選…などなど。患った病の来歴や旅行歴などによってできない人ももちろんいるかもしれないけれど、何かしらのオタクは献血に行けばいいのにな、と思っている。

なぜなら、何か当てたいものがある場合、献血に行って、

⭕️当たった→(献血とは全く因果関係は無いけれど)嬉しい

✖️当たらなかった→(献血とは全く因果関係は無いけれど)運は自分を見放したが、献血をした自分を自分は見放さないぜ!とメンタルが少し持ち直す

※個人の見解

とにかく当たろうが当たらまいが「献血に行った」事実は揺るがないし、自分で自分をちょっと褒められる。

ただ、ここにあまり大きな因果関係は見出してはいけないと考えている。なんだか、なんとなく、自分の身を何かのために差し出すことを正当化するべきではないと思っているからかもしれない。やっぱり第一は善意や「まぁしてもいいかな」みたいなカジュアルな気持ちで、欲はその後に続くべきだと思う。願掛けみたいなものだ。

 

動機は少しくらい不純でも献血に協力することそれ自体に意味があるんだと自分に言い聞かせ、私はまた推しのSSRが告知されれば特に因果関係はないけど献血に行くのだろう。ワハハ。そしておそらく推しの実装周期と献血協力可能周期がいい感じに合ってるっぽい。逆に行かない理由がない。

というわけでぜひオタクもオタクじゃない人もなんかちょっと面白いので献血に行ってみたらいいんじゃないかな、という提案でした。

急にものすごく寒いので、おでんとかお鍋とか食べてください。私はサムギョプサルを食べます。

では。

日記11/22

今日はちょっといつもとちがう感じで書く。

 

髪を切りに行った。パーマをかけたいがためにもう一年以上髪を切らずに伸ばしているけど、流石に飽きたし毛先がブリーチでバシバシなので切ることにした。終わりに「巻いてもいいですか?」と提案してくれたのでやってもらった。トイプードルみたいにされた。柄じゃない。柄じゃないけど面白いし自分ではできないので嬉しかった。ところで私は一体何にそこまで追い立てられてここまで前髪を短くしているのだろう。美容師さんは私の傾向を掴んできたようでとりあえず切ってから「もうちょっといきます?」と聞いてくれるようになった。自分の前髪でチキンレースをしていると思われている。

 

バスに乗って都会に出た。この1ヶ月家にこもっていたのでバスに乗るのは久しぶりだった。いつもはNCTとかK-popをよく聴いているけど頭から離れないので”カリスマ”の曲を聴きながらバスに乗った。「もし音漏れしていたらどうしよう」の緊張感が尋常でない。そんな異常な曲を公共交通機関で聴くな。

 


www.youtube.com

(キャラクターソングという文化、廃れるな。カリスマはキャラソン祭なので嬉しい。)(いい曲もあるけど音漏れした時を想うと怖くなるほど異常な曲もある。)

 

”魔法使いの約束”の4周年記念広告を見に行った。自意識が過剰だから広告の写真を撮るのもぬいぐるみを持っていくのも大恥。でも藤井隆が「♪なんだかんだ叫んだって やりたいことやるべきです」と歌っていたから隆を信じて生きる。それでも恥ずかしくて居た堪れずお気に入りの喫茶店に逃げるように入った。いつも頼まないやつに挑戦しようと頼んだケーキが苦手な味だった。ひとりじゃなかったら誰かに助けてもらえるのにな。生クリームで飲み込んだ。

 

手芸屋さんで毛糸を買う。マーブル模様の帽子が欲しくていろんな色が混ざった毛糸を買いに行ったけど実物を見てみるとあまりかわいくならなそうで、水色っぽい薄いグレーを買った。持っているぬいぐるみの刺繍が少しほつれているのが気になって、店員さんに直せるか尋ねたらちょっと待っててと言われて待っていると店にいた店員さんみんなに意見を求めて教えてくれた。優しい。あったかい。ありがとうございます。できないことはないけど賭けになるらしい。手を加えるかはもう少し考える。

 

…今回はいつものように1ヶ月の出来事をかいつまんで書くのではなくて、1日の出来事を手帳に自分だけのために書くように書いてみた。ボールペンで書くので添削ができないのでここでも添削はしないでおく。

いつの間にか11月も後半。これから2週連続でオンライン授業(1日6時間ぶっ通し)があるので心の底から憂鬱だが避けられはしないため腹をくくる。

暖かくしてホットミルクティーなど飲んで健やかにお過ごしください。

それでは。