献血行こうぜ

この3ヶ月で2回も献血に行った。

初めてというわけではない。ただ前回からは3年ほど期間が空いている。それなのに急に行く気になったきっかけは免許試験場での一件である。

前に書いたように、免許試験場は待ち時間がとてつもなく長い。そんな待ち時間を有意義に使うべく、建物には献血ルームが隣接してある。時間はたっぷりあったし、スタッフの方が大きな声で協力を呼びかけているのを無視することができなかったので、行くことにした。

しかし、その時はしなかった。というか、できなかった。

そこで呼びかけていたのは400ml献血だったが、それには体重制限があり、私はそれに満たなかったので今回はごめんなさいとのことだった。注射嫌いが意を決して赴いたのに、肩透かしを食らった気分。

こうなると意地でもしたくなって、後日お出かけついでに成分献血をしたのだった。私の体重では200mlか成分献血に協力することができる。成分献血は血液から必要な成分だけを抜き取って、抜いた後の血液は本人に戻すというもの。なんだかSFチックで面白いのでこっちを選んだ。大きくて仰々しい機械にゴウンゴウンと大層な音を出しながら血液が通っていく様が面白かった。

これで一気に私のなかの献血ハードルがグッと下がったので、これからもたまに行こうかなと思ったのだった。

 

 

 

…まるで善意100%のように書いている。実際は煩悩の塊だ!

免許試験場の一件があってからずっと献血ルームに行こう、行こうと思い続けていた。だが、「やっぱり注射怖いな、あの時は目の前にあって思い切りが出せたっていうのもあるしな…」とうじうじしていた。

しかし、そのタイミングでソシャゲで推しのSSRガチャの告知が発表された。

もう献血に行くしかない。

そう、献血に行くことで自らの善ポイントを上げ、どうにか推しが出るように運を向けたいと思ったのである。目的が手段になってしまった瞬間だ。

そして、まぁ、なんと幸運なことに、推しを引けてしまったんですよね。

で、また2ヶ月後にまた推しがガチャにラインナップされてしまって、「じゃあ、行くか…」となり、行った。そしてまた、引けてしまった。(バカみたいに、システムリセット時刻の午前4時にガチャを引くと排出率が高まる、という都市伝説を信じて実行したのもあるかもしれない)(本当に馬鹿すぎる、自分でもドン引きしてる)

とにかく、この成功体験によって、推しがガチャにラインナップされたら献血に行くことが私にインプットされたのであった。ハァ、大馬鹿者。

 

2次元3次元問わず、オタクはなにかと強制的な運試しに参加させられる。

ソシャゲのガチャやコンサートチケットの当落、ランダムグッズ、イベント日付指定先行入場抽選…などなど。患った病の来歴や旅行歴などによってできない人ももちろんいるかもしれないけれど、何かしらのオタクは献血に行けばいいのにな、と思っている。

なぜなら、何か当てたいものがある場合、献血に行って、

⭕️当たった→(献血とは全く因果関係は無いけれど)嬉しい

✖️当たらなかった→(献血とは全く因果関係は無いけれど)運は自分を見放したが、献血をした自分を自分は見放さないぜ!とメンタルが少し持ち直す

※個人の見解

とにかく当たろうが当たらまいが「献血に行った」事実は揺るがないし、自分で自分をちょっと褒められる。

ただ、ここにあまり大きな因果関係は見出してはいけないと考えている。なんだか、なんとなく、自分の身を何かのために差し出すことを正当化するべきではないと思っているからかもしれない。やっぱり第一は善意や「まぁしてもいいかな」みたいなカジュアルな気持ちで、欲はその後に続くべきだと思う。願掛けみたいなものだ。

 

動機は少しくらい不純でも献血に協力することそれ自体に意味があるんだと自分に言い聞かせ、私はまた推しのSSRが告知されれば特に因果関係はないけど献血に行くのだろう。ワハハ。そしておそらく推しの実装周期と献血協力可能周期がいい感じに合ってるっぽい。逆に行かない理由がない。

というわけでぜひオタクもオタクじゃない人もなんかちょっと面白いので献血に行ってみたらいいんじゃないかな、という提案でした。

急にものすごく寒いので、おでんとかお鍋とか食べてください。私はサムギョプサルを食べます。

では。