隣人について

うちの近所には大学があって、私が1限を終えて帰ってくるとちょうどその大学の2限が終わる。だからそのタイミングは、大学から帰る学生と大学に向かう学生、の二つの集団にかち合う。私は自転車でその中の一つの男の子たちのグループを追い越す。そのグループは前に3人くらい、ちょっと離れた後ろに2人がいた。

その後ろの2人のうちの1人を仮にA、もう1人をBとする。前方の3人のうち1人はCとする。追い越す瞬間に急にAが大きな声で、

A『C!こいつの彼女朝鮮人やねんて〜』

B『違うわ、純日本人や!』

C『…関わらんほうがええで〜』

…?なに?

えごめんなに?

最初”朝鮮人”の部分があんまりよく聞こえなくて。でもその後の会話で「あっ、朝鮮人って言ったのか」と気づいた。

聞いた瞬間はもうなんだかなにもよくわからなくて。ああいうとき、なにが起こったのかって瞬間的にはわからない。2秒くらい経って彼らを追い越しながら、

「こいつらの前に急に止まって『なんで朝鮮人やったら関わらんほうがええん?』って聞いてやろうか」「金田みたいにドリフトで止まろうかな」「声をかけてそのあと家がバレたらどうしよう」「自分が住むこんなに近くにこんなことを言う人が通ってるんだ」「てか純日本人ってなに?お前らは純日本人なわけ?」

そんなことを考えてる間にとっくに彼らを追い越して、信号を渡って、家に着いて。今度は彼らが私を追い越していく。せめてもの抵抗に、私は彼らを睨みつけた。

 

私は韓国にルーツがある。

祖母曰く私は両班(ヤンバン:昔の韓国の上流階級の人)の末裔らしい。ほんまかいな。私がいつかNHKファミリーヒストリーに出たら「調べてみたんですけど…別に両班の末裔とか、じゃ〜、なかった、…ですね…。」とか言われるのだろうか。ウケる。(そもそも在日韓国人ルーツの人間にファミリーヒストリーのオファーは来ないだろ)

なにをもって”純日本人”というのかはよくわからないが、私の国籍は日本だし、第一言語は日本語、大阪弁だ。それと同時にほぼ毎食キムチが食卓に並ぶし、冷蔵庫にはでっかいタッパーに入ったコチュジャンが常に2つは鎮座している。言語と食文化はアイデンティティの形成において大きな役割を持つ。う〜ん、私はおそらく彼らの言ういわゆる”純日本人”ではないだろうな。”純日本人”なんて言えるのはきっと、自分のアイデンティティについて深く考える必要がなかったからだろう。多分”普通に”日本人だから。”純日本人”が一体何なのか、その条件も別に特にないだろう。なんだよ、”純日本人”って。日本人て日本の土地から急に自生して生まれたん?

 

あまり覚えていなかったが、小さい頃から自分が何者なのかを考えていた気がする。私はみんなとは違うっぽい、とは思っていた。特に隠すことではないと思っていたから仲のいい子とかには明かしていた。(ただあんまりちゃんとよく分かってなかったみたいでクォーターとか言ってた時もあった)…と思っていたのだけど、最近妹に「小学校の時お姉ちゃんに『そういうことはそんなに言いふらさんほうがいい』って言われたよ」と言われた。ちょっとショックだった。なんかあったんだろうな、全然覚えてないけど。十かそこらの私は自分のルーツを隠すべきだと学習したんだろう。悲しいね。

海外に住んでいたときは日本人学校に通って、自分のことを考えなくなった。そこでは”日本人”というか”アジア人”がその国でマイノリティだって意識を感じたから、日本人学校内では自分が人種的マイノリティであることは感じなかった。この時は私もみんなと同じだった。自分を考える必要がなかった。(でも文化発表会の名前が「日本祭」だったのはちょっとナショナリズム強すぎか?キモ…と思ってた。まぁそこが日本から遠い国だったから出身国への愛着が強まるのはわからないでもないか?)

帰って来たら、自分がこの国ではマイノリティだったことに気づいた。あっそういやうちら同じじゃなかったね!と思い出させられた。そこから8年間もときどき、私は何者かと自らに問うことがあった。最近だと日本語教員実習で”留学生の人”と分けて”日本人の人”と呼ばれて、う〜ん、私は日本人か?こういう時は日本人としてカウントされるのか。なんかもうめんどくせえから”日本語話者”でよくないか?とか思う、など。

 

で、何の話だっけ。…あぁ、アホどもの話か。おそらく自分が何者なのかを考えたことのない、考える必要のない人たち。彼らの言葉にはひどく驚いた。さっき書きながらもそこはかとない恐怖を感じた。今どき朝鮮人って使うの逆に気が引けないか?差別主義者丸出しすぎて。そしてその返しに”純日本人”って何だよ。わざわざ人種を問題にしたテメーの友達を怒れよ。「何やねんその言い方は」やろうが、お前がすべき返事は。ほんで、朝鮮人とはなんで関わらんほうがいいか教えてくれる?お前の指導教員も朝鮮人かもしれんが?図書館の司書も事務員も学長も朝鮮人かもしれんが?どうやって関わりを避けるんだろ。デスノートの”死神の目”で見たらその人の名前と寿命が見える、みたいに頭の上にその人の人種が何か見えるのかな。

 

あなたたちが思っているよりも近くに私たちはいる。あなたたちと同じように生活をしている。ただ生活をしている。

なぜ生活をしているだけで心無い言葉を聞かねば、自分を偽らなければ、差別に怯えなければ、ついには殺されるかもしれないと思わなければいけないのだ。

自分がどんな言葉を使っているのかを考えて。どこから排他的で差別的な価値観を仕入れたのかを考えて。

私はあなたの隣人。そしてあなたもまた、誰かにとっての隣人だ。