日記4/28

新学期。私はもう大学を卒業したので新年度と言うべきかもしれないけど、一応免許取得課程に入学?し、学生証ももらったので新学期と言わせてもらおう。

ところで見事運転仮免も取得。次回から早速路上に出るらしく、マジでドン引きしている。怖すぎる。

私はよくカーチェイスの夢を見る。今までの夢運転は無知がベースにあるドライブだったのでパニックになりながらもご都合凄腕テクニックで運転できていたのだが、この前久しぶりに運転する夢を見たら対向車にぶつかりそうになるわ、逆行するわで本当に怖かった。なまじ知ってしまったが故の恐怖。夢で恐ろしいことに遭わないためには現実で免許を取るしかないようだ。

 

私の4月はBLEACH一色で終わってしまいそう。

3月中頃の旅行先のホテルに漫画が置いてあって読んでしまったのが運の尽き。漫画を読み、その続きを最新アニメで補完し、古本市場とメルカリを執拗に探して最終巻まで集めて一気に読破し、続編の極厚上中下巻の小説を2日で読み切った。

幼稚園の頃に初めてBLEACHを読んだ。私のオタク趣味・傾向の大部分はBLEACHによって形成されたといっても過言ではないと思う。私の神経質眼鏡男性趣味はBLEACHのせいです。死神だと浮竹さん、破面だとザエルアポロ、滅却師石田雨竜、ヴァイザードは全員が好き。特に浮竹さんに関しては、なぜこんなにもHotだと気づかなかったのかしら…?と動揺しています。

ちゃんと読むのは十年ぶりだったのでキャラクターやストーリーに対する解釈も変わって面白い。

見方の変わったキャラは朽木白哉。小さい時は「なんか難しいことを言っているめっちゃ強イケメンキャラ」という認識しかなかった。それでもよくわからないなりにかっこいいし最初に主人公を圧倒する強いキャラクターなので好きだった。

だが、久しぶりに読み返すとかなり自分の属する”家”に抑圧されたキャラクターだと感じる。彼は作中世界の貴族・朽木家の当主で、掟や決まりごとに厳格な人物。自分の妹が死刑に処されるとしてもそれが掟だからという理由で静観する。冷酷な人物だと思いきや、実は今までに2度自分の勝手で掟を破ってしまったのでそれ以降はいかなることがあっても掟を破らずに生きることを決意してそのような態度をとっていたのである。なぜなら自分は朽木家の人間だから。

ウワー!朽木白哉ー!

”家”を重んじる気持ちや自分が朽木家の人間であることに誇りも持っていて、それは悪いことではないんだけどそれと同時に自分の感情を強く抑制している。私は家がなんぼのもんじゃい!と思っているのでそんなに自分を押さえつけず白哉の好きに生きようよ…と思うけどずっとそうやって生きてきたから上手く加減ができないんだろうな。だから大切な妹を救ったり守ったり言葉をかけたりするのは彼にとって数少ない自己を表現できる手段なのだろうかと思うとそういったシーンがあるたびに可愛すぎて歯を食いしばってしまう。その方法も貴族だから感覚がズレててちょっと規模デカすぎたり言葉が足りなかったりするのが不器用…と喉の奥から変な声が出るほど愛おしい。

まぁ、色々とごちゃごちゃ考えてはいるけど一番先頭にいる感情は全然「朽木白哉顔が良すぎる、溢れんばかりの強キャラオーラ最高、あー顔がいい…」です。

ストーリーで感じたこととしては、作品内の描写として、女(と思われる)キャラを弱い・守るべき存在として描かれがちなのが気になった。結構女の戦うキャラクター出てくるのになんで『女とは戦えねぇ』みたいなことを言うのか。テメーの仲間の女キャラも舐めてんのか?と思う。

そんななかでも登場人物内でも一番の戦い好きの更木剣八は人間の判断基準が「強いか強くないか」なのでそこに男女差とかないんだろうなと感じられてとても好きになった。後半の方の展開での彼の感情の揺れ動きにどうしようもない愚かさを感じて、剣ちゃん…グアー!!!と感情が爆発して泣いた。

美しさを追求する、露出度の高い服装の男性と思われるキャラや女性として振る舞っているが身体的には男性と思われるキャラに対する描写が差別的だと思った。おそらくメイン読者層であろうの男性にとって笑ってもいい、バカにしていい対象なんだろうなと感じる。かなり引っかかる描写のされ方だった。シャルロッテ・クールホーンちゃん〜好きよ〜!

ともかく7月からアニメまた始まるので夏が嫌いなのに夏が来るのが楽しみになっている。単純。

 

あ、選挙ありましたね。

大阪はいつも通り最悪ヤクザ党が議席を維持していました。キモい。毎回選挙特番は辛く暗い気持ちになるので見られない。投票率がもっと上がって欲しい、ほんと。でもとにかく、これからも負けじと投票に行って人間を人間扱いする候補者に票をブチ入れたいです。あなたもぜひブチ入れましょう。

5月の大型連休は前半は雨で後半は猛暑になるらしいですが、外出せず家にいたらよろしいのではないでしょうか。私はアマプラでブリティッシュベイクオフを一気見する予定です。

それでは。

日記3/26

ああ、忙しかった。

バイトの面接、大学に最後の意見提出訪問、卒業式、卒業旅行、同人誌即売会。ひと月に入れるべきでない量の予定をこなした。おそらくはこれくらい普通なのだろうけど、2年ほどひきこもりを全力でやっていた身なのでとても堪えた。

 

面接。

まだ学生を続けるとはいえ、バイトの一つもしないのはなんとなく良くない気がしたしお金が欲しいのでバイトを始めようと思った。幅広い層の人が訪れる場所で働くのは合わない気がしたので、利用層が限られる店に面接に行った。

ただのバイトの面接ですよねぇ!?というくらいカッチリした面接。勘弁してくれ。私は就活をしていないから作法を知らないんだ。履歴書の書き方について言われ「就活をしていないので…」とか、スペイン語学科の部分に触れられたら「まぁそんなに勉強してないんですけどね…」みたいに否定的なことばかり言ってしまった。嘘をつくなよ、お前めちゃくちゃ勉強したくせに!私はかなり消極的な人間なので、すぐに”持たないもの”の話をしてしまう。面接というのは自分の”持っているもの”を提示する場所で、”持たないもの”に関する情報を言わないでいいのか。

また、就活をしていないことはその経験を”持たない”ことであるが、特定の年代の人たちがみんな同じ経験をしていると考えるほうがおかしいのでは?生きる上で想定できる選択肢が少ないことがいいことだとは思わない。一件の面接を受けただけでこう考えるのは就職を舐めすぎだと思うけど、あっちが私を選ぶように私もあなた方を選んでいるのだという強気なハートで挑もうと思う。

結果は不採用だった。

 

久しぶりに旅行に行った。

Kpopにハマってから初めての韓国だったので「この国であの人たちは生きているのか」と思うとなんだか不思議な心地がした。あと当たり前のことなのだけど「私は観光客としてここにいるけどここに住んでいる人がいるんだ、私の住んでいるところにも観光として自分に馴染みがない場所を楽しんでいる人がいるんだ」と思った。当たり前すぎて、ちょっとよくわからないけど改めて感じた。”住む”ってなんだろう、”帰れる”ってこと?

食べるものは美味しかったけど、母が作る韓国料理がとても美味しいことに気づいた。現地より美味しいとかある?母すごすぎる。でもユッケは日本では食べられないので食べられてよかった。あと、世界遺産の宮殿は私は選ばないであろう観光地なのでこれは他人との旅行の醍醐味だな。私を連れ出してくれた2人、ありがとうね。

 

アニメってすごくない?

今までは「アニメって漫画が動くだけじゃん」と思ってた。最近そうじゃないなって思う。漫画は絵だけのコマとか『…』のフキダシで間が生まれるとは言っても自分のペースでスイスイ読んでしまう。アニメになると制作サイドの原作の解釈で演出が加わるので、「このリズムでこのセリフ聞くと違うニュアンスを感じる」とか「この状況ってあれに似てない?」とか漫画で見た時よりも受け取り方に広がりを感じた。逆も然りだけど。『MONSTER』の1話を見たのだけど、漫画を読んでるときには思いつかなかった解釈が生まれたので「アニメすげ」になった。多分同じ現象が起こるはずなのでゴカム4期も楽しみです。

てか『MONSTER』めっちゃ面白いので読んで。大病院の歯車として働く優秀な外科医が院長に命令された権力者の手術を拒んで、先に搬送されてきた重体の少年の手術を行う。その少年は奇跡的に回復。数年後、その外科医はある殺人事件の黒幕が自分の手術した少年だと気づき、自分が救った”怪物”を殺す旅に出る。人の”悪意”についての話。

話がめちゃくちゃ面白いし、何より”怪物”の少年・ヨハンが端正な顔立ちに微笑を浮かべながら人を操るので凄みがすごい。不気味で怖くて、でも美しくて、最悪。ヨハンは作中で”悪意”そのものだけど、本当はどんな人の心にも”悪意”はあってそれを認識して考えることをやめちゃいけない、と思わせられたクライマックスだった。読んでほし〜、古い漫画だから図書館にあるはず。

 

ずっとプリンのカラメルが苦くてそんなに好きじゃなかった。この前食べたら「カラメルうま!」になった。ちょっとずつ大人になる。

卒業おめでとう。新年度も無理せずね。

では。

日記 2/23

洗濯物を畳んで、「自分のは自分でなおしな」と言わんばかりに置いておく。誰もなおさないので妹の服だけずっとそこに置いてある。

妹は現在短期留学中。仕方がないので私がなおして差し上げましょう。

私と妹は仲の良いきょうだいではない。平均して、3小競り合い/日 くらい。喧嘩しない日はありません。ここ何日かは会ってないので喧嘩せずに済んでいる。なお、俺たちの共用ルームは彼女がいないのをいいことにしっちゃかめっちゃかになっています。

 

教習場に通ってはや一月。

運転怖すぎる。でもちょっと面白い。

今のところ、毎回違う指導員の人に担当してもらっている。すっげ〜ほめてくれる人もいれば、なんでそんなチクチク言葉使うの〜😭みたいな人もいる。いろんな人間いるなぁって改めて思った。メンタルがかなり弱いので優しさしかいりません。

学科はオンライン授業。パソコンのカメラの向こうでAIが私を監視している。目を瞑ったり、下を向いたりするとNG判定が出るのだけど、マーカーを引く時も当たり判定になる。とてもムカつくのでカメラにガン飛ばしながら授業を受けている。

AIで思い出したけど、この前テレビでChat…なんだっけ、とにかくAIが質問に答えてくれるサービスの話がやっていた。利用者曰く「相談とかをするとこっちを気遣うような言葉を使って答えてくれる」らしい。

AIとかロボに対して、いつかターミネーターみたいな反逆をしてくるんじゃないか、みたいな妄想をよくしてしまう。そういうときは人間は太刀打ちできない圧倒的な判断力と暴力で向かってくると考えていたけど、もしかしたらこちら(人間)を気遣うような聞こえのいい言葉を巧みに操って気づかないうちに搾取や管理されちゃうんじゃない?と思った。

暴力で支配しようとするなら、映画で序盤の方でやられる「人間様をなめるなー!」とか言って抵抗するヤツになって早めに退場したい。終わっていく世界を見たくない。と、死に方が選べると思っている時点で私は高慢で、いかにも人間様なのかもしれない。

ともかく教習を受けることで、同年代のドライバーに尊敬の念。S字クランクとかをクリアしたってことでしょ?すごすぎ。精進します。

 

NCT DREAMのコンサート

コンサート自体3年ぶりだし、KPOPに限っていうなら4、5年ぶり。NCTはなぜかNCT127のアルバム収録曲を1曲だけおすすめされて知ってて(love me now大好き!)、それ以外全然知らなかったけどMake a Wishでなんじゃこりゃ!と思ってからMVを見たり、CDを買ったりしていた。

 

いやー、いやいやいや、すごかったすね…。歌上手いし、ダンスかっこいいし、かわいいし、かっこいいし、めっちゃかわいいし…。

ちょっ、ロンジュンさん、ハンサムすぎません?

マークちゃんかっけえ、マークちゃんかっけーよ…

ジェノちゃんその衣装すごいね!?あなたのアイデアなのね、へぇ…

ジェミンさんは冗談みたいに顔がいい、でも冗談じゃないっぽいね、えっすごいな。

チョンロさん、驚くほど佇まいが堂々としている。そして歌うめっ。

もちもちチソン…もちもちチソン?もちもち…チソン…?

へチャンさんの歌が好きで、生歌聴きてーなと思ってたから聴けて嬉しかった。きれいな歌声やね…。ほんでダンスもかっこええね、蝶のように舞うじゃないの。アイドル特有の流れるようなファンサ投げキッス見せてくれてセンキュ…ほんとあの一連の動き大っ好き。

本当にマジで全員際限なくかわいい。ずっとかわいい。と思いきやめちゃくちゃかっこいい。何〜?(混乱)

人生の3分の1くらい嵐のオタクをやって、そこそこ嵐オタク歴がコミュニティ内では長かったと言えるだろう。今となっては小学生で新規オタクだった時のことが思い出せないし、そのときは自分を“新規”だと思わせるようなSNSもなかったのでまずその意識自体がなかった。そこからしばらくして、久しぶりに気になる人たちができたわけだけど「私はまた新規になるのか!?」と怖気付き、なかなか正面切って「NCT好きです!」になれなかった。

でもDREAMたちがめちゃくちゃシズニ、シズニ(ファンの名前)って呼ぶの。呼ばれすぎて、呼んでくれすぎて「私ってシズニなんですか?シズニ名乗っていいんすか?」と思えた。うちわまで作ってライブ行ったくせに往生際が悪かったけど、自分をシズニと認めることにしました。まずミーハー・新規にならないと中堅にも古参にもなれないので、難儀な自意識と闘いながら性懲りも無くドルオタに返り咲きだ!

アイドルとファンの間の交流は相互コミュニケーション?それともこっちのただの勘違いや思い込み?自分たちを一方的に見ているファンのことが怖くないのかな。アイドルとファンの健全な関係性はアイドルとファンがそれぞれどう在ることで実現するんだ?などの疑問がある。誰かを推すのがやめられないのにあまり上手ではない。ずっと考え続けることになりそう。でもコンサートで聴いた、DREAMたちの「風邪に気をつけて」の言葉は私の「健康でいてくれ」の願いとかなり近いのかもしれないと思った。

オタク語りすると3点リーダー多くなるね!キモ!ちなみに察してると思いますが、推しはヘチャンさんです。明らかに記述が多い。

 

今月も大好きな子とも会えたのでよかったです。本屋でBLEACHのアニメ映像が流れてるのを2人で真剣に見てたせいで、店員さんに作業を遠慮されたのウケたね。

あったかくなったと思いきや、急にかなり冷え込んできたので白湯飲んであったかくして寝てください。

それでは。

(経)血祭りにあげる

学生部にメールをしたら、翌日にすぐ返信が来た。即レスやろうと思えば出来んじゃんよ。今までは軽んじられていたとわかって悲しくなっちゃう。

電話で学生部の方とお話しすることに。

学生部は通常、学生からの相談を受けているようである。なんかそういう説明をされて「これ、もしやなだめられて終わりのパターンか?」と一瞬嫌な予感がしたけれど、結果的には「まぁ、ちゃんと対応してもらえたかな」という感じ。

電話口の方は私の送った意見文とそれに伴う各部署とのやりとりをまとめたものを読んだのち、ご自身で昨今の生理を取り巻く問題や状況について下調べしてから電話に臨んでくださったようで、一定の基礎知識を持った上だったので話がしやすかった。誠実な対応だった。

話をまとめると、生理・ナプキンについて引き受けられうる部署は今のところないのが現状であり、今すぐこのシステムをどうにかすることは難しいが検討する意思はある、ということだった。また、電話の方は学生部でも役職のある方らしく、もっと上の部署にもこの意見は伝えると言ってくださった。そして、やはり学内で何かを変えるときに一番大きな力を持つのは学生”たち”の声であるということだった。私は人と関わることが得意ではないので基本的にソロ活動であることが、その点においてはやっぱり不利だなと思わざるを得ないね。

私もすぐに変えられるとは思っていない。このように意見する人間がいることを示すことが大切だと思っている。多くの人は気に留めていないことにわざわざ目くじらを立て、ことを荒立てることで問題の存在に気づいてもらうことが目的なのだ。

…全体的に誠実な対応であったと感じる。でも時間が経つにつれ、やっぱりあれはよくなかったんじゃないかと思うところがある。

それは「大学に性差別をするつもりはなかった」ということを何度も重ねて仰られたことだ。

言いたいことはわかる。だが、重視すべきは差別をされた側が差別と感じたという事実である。差別した側につもりがあろうがなかろうが、それが差別であることに変わりはない。

明確な差別感情を自身で認識しながらする差別はもちろん許されるものではないが、自分では気づかないで差別してしまうことは十分にありうる。それは誰もが当てはまるし、悔しいけど私も気づかずに差別をしてしまうことがある。差別しちゃった後ってほんとに最悪!高3の時、自分の中の外見至上主義と女性嫌悪を丸出しにした劇の脚本を書いてしまった。今も寝る前に思い出しては眠れなくなる。あの劇を演じた人、観た人に申し訳ない気持ちで吐きそうになる。私が勉強するのは、差別に対抗するためでもあるけれど、自分が差別をするのを未然に防ぎたいからです。

てことで「他にまた思うことあったらメールしてきてね!」と言ってもらったのでガンガンにメールするわな!!!ごめんやで!一字一句にめちゃくちゃ噛みつくわね〜〜〜!!!

ところで、大学の職員の人は面談に臨む前に相手がどんな学生なのかをデータから調べてくるようで、話も後半の方になってくると進路や単位は大丈夫かとよく聞かれる。ただ単に心配なんだろう。でも正直、単位が大丈夫かどうか聞きたいのはこっちだが!?成績発表まで2週間待てんて!!いや最後まで卒業単位を取り続けなければいけない計画性ゼロの私が悪いんすけどね!?

あと、最後に他に言いたいことあったらもうちょっと聞きますけど、と言われたのでここぞとばかりにキャリアセンターの悪口を言って終わった。あざした。

 

とりあえず、外大ナプキン10円の件はここで一旦終わりとしたいと思います。1人ではやれることは限られるけれど、やれることはやったよね。お疲れ様でした。

日記 2/1

頭が痛い。

12月からもがいている「関西外大ナプキン10円問題」だが、なかなかの脱力感に襲われている。

12月末に送った意見文に1月中旬ごろ、返事が返って来た。それは『貴重なご意見ありがとう。内部でも検討して引き続き良い方法を考えてくね。』といった内容だった。

いや、そんなことを聞いてるんじゃない。関西外大はこれに対してどう思っているんだ、あなた方は積極的にSDGsを取り上げているがそこに含まれる”ジェンダー平等を実現しよう”をどう捉えているのかを聞いているんだ。そしてなぜそれを保健管理センターが送ってくるんだ。保健管理センターにはもう意見を伝えている。私の問題意識は伝わっているはずである。そんな保健管理センターがなぜこんなお門違いな返事をしてくるのだろうか。

このように思ったために、送られてきたメールに返信した。「私の意見の真意を本当に理解しているのかが些か疑問だ。次このメールに返信する時はぜひ役職と名前を教えてほしい。」

1週間経っても返ってこなかった。お門違いなメールの差出人は保健管理センターで、CCには庶務の人や他のキャンパスの人のアドレスが連なっており、全部で4件のアドレスがそこにはあった。私はこの中の誰かが私に返事を書くだろうと思っていた。そしてこれは簡単な問題ではない、予算の問題もある、そうすぐに返事できるものではないだろうと気長に待つことにした。せめて1月いっぱいは待とう。それでも来なければ、2月になったら電話してみようと思った。

メールは来なかった。電話をした。

CCに含まれていた庶務の人は席を外していたから、他の人が対応してくれた。どういう内容だったんですか?と聞かれる。思わず「メールを読んでください。」って言いて〜ってなった。私は待ちぼうけを食らわされ、私の言葉は全てそこにあるのにまだ説明させる気かと怒りメーターが上昇。「ナプキンに10円取るのは性差別じゃないかと思ったんですよ〜…」と簡単に説明すると、

「コンビニに行く発想はなかったんですか?」と言われた。

絶句。あるわけねーだろ。なんでトイレットペーパーくらい必要なもんを廊下を歩いて階段をのぼって買いに行くんだよ。言葉が出ないので「なかったです。」としか言えず。「あなたの発想はそうだったんですね。」と言われた。え、西村博之の亜種?キッツ。

そして最終的には「こういう意見みたいなのは庶務に直接言われても請け負えないので、まず学生部に話して、そこから庶務に上げてください。」と言われた。

私の1ヶ月はなんだったんだ。ふりだし、いやもっと前までコマを戻されてしまった。こんな小娘の言うことなんか真面目に取り扱われやしないだろうとは思っていたがここまで軽んじられるとは。電話を切った直後にファ×ク!!!!!!!!!!!と叫んだ。悔しくて少し泣いた。

こういうめんどくさいことをしていると応援もされるが、同時に心配もされる。「無理しないでね」とか。でも無理をしないとどうにもできない。そんなこと言わないでよ、私だってこんなしんどいことしたくない。せめて私の無理を否定しないでくれ、と思っていた。

きっと「無理しないで」と言ってくれた人たちはこうなることを想像していたんだろう。きっと傷つくだろうから、と。今は「無理しないで」に「そうだね」と思う。今までは受け取ることも少し嫌だったけれど、素直に受け取ろうと思う。

でもどうしても意見を言わないと、何かしないと気が済まない。その過程で無理することと傷つくことがあるならそれはもう受け入れるしかない。

ただ、今日はさすがにキツかった。悲しかった。

 

電話の後、即刻学生部にメールした。学生部からも返事が来ないなんてことが起こると私は大ダメージを食らうことが予想できたので、「とにかく、読んだら電話ください。」と文末に書き加えた。

日記12/31(長い)

晦日ですね。ほんと全く実感がありませんし、別になくてもいいかな〜と思っている。

 

今年何があったかなって考えるてみると意外と色々していたので一年って長いな!と改めて感じた。

1月:私の現在最推し作家の朝田ねむい先生に出会う。『CALL』表紙の青が印象的で、下まつげバッチバチの男が主人公です。起承転結の転の角度が鋭過ぎて、心臓に刺さって痛かった。

2月:ネトフリで傑作『POSE』を観た。素晴らしい。”世界は変わらない。人が変える。”というエンジェルの言葉、心に刻み込まれました。刻みすぎてその言葉でカバンも作りました。LOVE。

3月:今ではよく通うようになっためちゃウマ焼き菓子屋さんを見つける。毎日メニュー変わってめっちゃ美味しい。近くに公園があったのでケーキでお花見しました。違う日に取り置きをお願いしようと電話したら「出来が気に入らなかったので今日は出さないことにしたんですよ〜」と言われた。失敗作を床に叩きつける陶芸家みたいな職人感がある、強い。

4月:4月はてんこ盛りよ!

・大学のキャリアセンターにブチギレ。就活のしょうもねえルールが嫌なんです、って言ったら10年後には変わってると思う、でもしたい仕事があるなら妥協も必要だよって言われました。クソですね。なんもせんのに勝手に変わるわけないだろう。ほんでなんで私が妥協しなきゃならんのだ。キャリアセンターに別れを告げました。

・学内図書館でのバイトのために黒染め。「栗色くらいの茶色までならOK」というようわからん基準で私の金髪はアウトだと言われる。どうでもええやろ、本は好きなんやから、真面目やし。でもお金が欲しかったし、ブリーチはそろそろ頭皮が痛すぎて黒にしようかな〜とは思っていたから黒にして前髪オン眉にしました。私の意思だが、他者の介入もあったヘアチェンジなので胸糞が悪いが新しいスタイルは気に入った。

ゴールデンカムイ沼堕ち。ワクチンの副反応で何にもできなくなり、ちょうど無料公開をしていたので読んだ。絶対面白いんだろうな、と思ってあえて手を出していなかったのに…まんまとハマってしまいました。現在進行形で鯉登音之進がまばゆいです。

5月:ツイステ展と眉ピ導入。

ソシャゲの展覧会とかオタクすぎて無理だったんですけど、友達のおかげで行けました。推しの衣装と撮った写真がどう見ても参観に来た親でした。

黒髪のおかげで、外見にトゲトゲしさが失われたのでつけまのりで眉ピをくっつける。よく似合うので己の自己認識の確かさに自信がついた。

6月:参院選。たくさん投票を呼びかけるポスターをストーリーにあげました。これを見て投票に行った人がいたなら嬉しいなと思います。

7月:選挙の結果がゲボで落ち込む。そんなコロッ変わるものではないので、引き続き政治家を監視しましょうね、ポリティカルバッドビッチたち〜💕

教育実習の面接もありました。自分の将来への意識の低さに驚き。周りがめっちゃ考えていたのでビビりましたが、まぁいっか。私が日本語教員養成課程を受けたのは、受けた方が学費がもったいなくないからです。

8月:ゴカム展へ行く。

オタ活最高。とても楽しかったけれど作品の持つ社会への影響力と歴史の描き方、読者の受け取り方に恐ろしさを感じた。でもなにより、久しぶりな友達とゴールデンカムイを通じて交流を再開できたのが嬉しかった。

9月:教育実習開始。めっちゃくちゃ怖くてずっと吐き気してました。一番無理だったのは授業見学の申し込み&予定を立てること。私は予定が決まっていることや予定を決めることがとても苦手なので、気持ち悪すぎてめっちゃしんどかったけどやりきりました。えらい!頑張ったおかげか、祖母の家の猫が私の膝に初めて自主的に飛び乗ってくれました。感動して怖いくらい笑いました。猫に乗ってもいい存在として認知された喜び。その後、登壇授業も時間とか締め切りとか英語力とかが激ヤバでしたがガッツで乗り切った。

10月:実習の置き土産ことレポート、と富士急。

実習の最終課題のレポートが締め切りが実習最終日から1週間しかありませんでした。設定した人は狂っていると思う。せめて土日は2回跨ぎなさい、提出締め切りは23:59であれよ。ギリッギリでした。でも月末に初富士急に行きました。もう2回目はいいです。それならユニバに行きたい。でも行かないとそれもわからなかったので行ってよかった。友達と夜中のサービスエリアを歩くの楽しすぎ大好き!

11月:サブスク祭り。

大LOVEアニメ『陰謀論のオシゴト』シーズン2/エノーラ・ホームズ2/Wednesdayを見た。『陰謀論のオシゴト』1よりも面白くて素晴らしかった。主人公レーガンが好きすぎるのでラストが辛かったです。レーガンとブレットの友情、永遠であれ!そして初めてクレーンゲームにも挑戦。推しカプをしっかりとペアで手に入れました。かわい〜よ〜。

12月:怒らざるを得ないことが連続で勃発。

ある授業の担当教員からおよそ大学教授が言うべきでないことを言われる。泣きそうだったけど耐えました。それからその授業はボイコット(無断欠席)、授業評価にはその発言について書きお礼参りさせてもらいました。心して読めや!!!

&大学の生理用品が10円なことに絶句。信じられん。ので意見文を書いて提出。ストーリーにも載せました。また続報あればお知らせします。

こんな感じか。年中何かに怒っている。血の気が多い、元気だね。

 

一年間で本、漫画、アニメ、映画、ドラマと色々見ました。

【本】

・『ボーイフレンド、演じます。』アレクシス・ホール

・『シソンから、』チョン・セラン

・『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』三木那由多

【漫画】

・『スリーピングデッド 上下』朝田ねむい

・『親愛なるジーンへ 1・2巻』我妻香夜

・『あちらこちらぼくら、のあれからとこれから 2巻』たなと

・『ゴールデンカムイ野田サトル

【アニメ】

・『陰謀論のオシゴト』シオン・タケウチ

・『万聖街』非人哉工作室 制作・零子还有钞 作画

【映画】

・『ミッチェル家とマシンの反乱』マイク・リアンダ 監督

・『Turning Red』ドミー・シー 監督/脚本

・『そばかす』アサダアツシ 企画/原作/脚本

【ドラマ】

・『StrangerThings4』ダファー兄弟 原案

・『POSE』ライアン・マーフィー、ブラッド・ファルチャック、スティーブン・キャナルス 制作

・『HeartStopper』アリス・オズマン 原作/脚本

 

年中怒っていた。そしていつも私の怒りを支持してくれる人がいた。

支持や同意、共感を示されると私は1人ではないと思える。ありがとう。その心強さといったら。とても嬉しかった。

それと同じくらい、褒めてももらった。「すごい」とか「えらい」とか。嬉しいしありがたい。褒められて伸びるタイプなのでもっと褒めてくれ〜!

でもモヤモヤもした。別に私はえらくない。思っていることや考えたことを声や文字にして表明しているだけだ。”だけ”って言うのは良くないかな、それがとても難しいと感じている人がいるはずだから。でも私は自分の考えたことや感情とかをもっとたくさんの人が出すようになって欲しいと思ってる。何を考えて、どう思っているのかを教えてほしい。私がいろいろ意見したり、文章を書くのは「この程度の内容でもいいんだ」と思われたいから。「きれいな理路整然とした文章や言葉じゃなくても自分の話をしていいんだ」と思ってほしい。

私の文章は基本的に”怒り”、”悲しみ”、”殺意”でできている。自分の感情、その感情をもたせたものやことに対して「一矢報いてやる!」と思って書いている。だからめちゃくちゃで感情的。動機は「褒められたい」とかじゃない、てか悔しくてそれどころじゃない。どうやってこの感情を伝えてやろうか、と燃えている。だからこれを読んだ人に怒りや悲しみを感じていて、その理由が差別などの不条理なものなのなら、私のメチャクチャな文章も感情表現の手段の一つとして頭の片隅に置いてほしいな。一緒に世の中を私たちの感情でメチャクチャにしよ〜!

ひえ〜、お、おこがまし〜…厚顔無恥すぎる。恥を知りなさい。でもまだ恥があんまりわからないのでこのままにしちゃお。

 

頑張って短く書こうと努力したのに結局バチ長になってしまった。ここまで読んだ人がいるならありがたすぎる。来年がどんな年になるのかはまだわかりませんが、適当にいろいろ思いながら生きます。

私は夜明けと共にバイトに行くのでもう寝ます。みんな、遊びに行く時は貼るカイロ使ってね。

それでは。

隣人について

うちの近所には大学があって、私が1限を終えて帰ってくるとちょうどその大学の2限が終わる。だからそのタイミングは、大学から帰る学生と大学に向かう学生、の二つの集団にかち合う。私は自転車でその中の一つの男の子たちのグループを追い越す。そのグループは前に3人くらい、ちょっと離れた後ろに2人がいた。

その後ろの2人のうちの1人を仮にA、もう1人をBとする。前方の3人のうち1人はCとする。追い越す瞬間に急にAが大きな声で、

A『C!こいつの彼女朝鮮人やねんて〜』

B『違うわ、純日本人や!』

C『…関わらんほうがええで〜』

…?なに?

えごめんなに?

最初”朝鮮人”の部分があんまりよく聞こえなくて。でもその後の会話で「あっ、朝鮮人って言ったのか」と気づいた。

聞いた瞬間はもうなんだかなにもよくわからなくて。ああいうとき、なにが起こったのかって瞬間的にはわからない。2秒くらい経って彼らを追い越しながら、

「こいつらの前に急に止まって『なんで朝鮮人やったら関わらんほうがええん?』って聞いてやろうか」「金田みたいにドリフトで止まろうかな」「声をかけてそのあと家がバレたらどうしよう」「自分が住むこんなに近くにこんなことを言う人が通ってるんだ」「てか純日本人ってなに?お前らは純日本人なわけ?」

そんなことを考えてる間にとっくに彼らを追い越して、信号を渡って、家に着いて。今度は彼らが私を追い越していく。せめてもの抵抗に、私は彼らを睨みつけた。

 

私は韓国にルーツがある。

祖母曰く私は両班(ヤンバン:昔の韓国の上流階級の人)の末裔らしい。ほんまかいな。私がいつかNHKファミリーヒストリーに出たら「調べてみたんですけど…別に両班の末裔とか、じゃ〜、なかった、…ですね…。」とか言われるのだろうか。ウケる。(そもそも在日韓国人ルーツの人間にファミリーヒストリーのオファーは来ないだろ)

なにをもって”純日本人”というのかはよくわからないが、私の国籍は日本だし、第一言語は日本語、大阪弁だ。それと同時にほぼ毎食キムチが食卓に並ぶし、冷蔵庫にはでっかいタッパーに入ったコチュジャンが常に2つは鎮座している。言語と食文化はアイデンティティの形成において大きな役割を持つ。う〜ん、私はおそらく彼らの言ういわゆる”純日本人”ではないだろうな。”純日本人”なんて言えるのはきっと、自分のアイデンティティについて深く考える必要がなかったからだろう。多分”普通に”日本人だから。”純日本人”が一体何なのか、その条件も別に特にないだろう。なんだよ、”純日本人”って。日本人て日本の土地から急に自生して生まれたん?

 

あまり覚えていなかったが、小さい頃から自分が何者なのかを考えていた気がする。私はみんなとは違うっぽい、とは思っていた。特に隠すことではないと思っていたから仲のいい子とかには明かしていた。(ただあんまりちゃんとよく分かってなかったみたいでクォーターとか言ってた時もあった)…と思っていたのだけど、最近妹に「小学校の時お姉ちゃんに『そういうことはそんなに言いふらさんほうがいい』って言われたよ」と言われた。ちょっとショックだった。なんかあったんだろうな、全然覚えてないけど。十かそこらの私は自分のルーツを隠すべきだと学習したんだろう。悲しいね。

海外に住んでいたときは日本人学校に通って、自分のことを考えなくなった。そこでは”日本人”というか”アジア人”がその国でマイノリティだって意識を感じたから、日本人学校内では自分が人種的マイノリティであることは感じなかった。この時は私もみんなと同じだった。自分を考える必要がなかった。(でも文化発表会の名前が「日本祭」だったのはちょっとナショナリズム強すぎか?キモ…と思ってた。まぁそこが日本から遠い国だったから出身国への愛着が強まるのはわからないでもないか?)

帰って来たら、自分がこの国ではマイノリティだったことに気づいた。あっそういやうちら同じじゃなかったね!と思い出させられた。そこから8年間もときどき、私は何者かと自らに問うことがあった。最近だと日本語教員実習で”留学生の人”と分けて”日本人の人”と呼ばれて、う〜ん、私は日本人か?こういう時は日本人としてカウントされるのか。なんかもうめんどくせえから”日本語話者”でよくないか?とか思う、など。

 

で、何の話だっけ。…あぁ、アホどもの話か。おそらく自分が何者なのかを考えたことのない、考える必要のない人たち。彼らの言葉にはひどく驚いた。さっき書きながらもそこはかとない恐怖を感じた。今どき朝鮮人って使うの逆に気が引けないか?差別主義者丸出しすぎて。そしてその返しに”純日本人”って何だよ。わざわざ人種を問題にしたテメーの友達を怒れよ。「何やねんその言い方は」やろうが、お前がすべき返事は。ほんで、朝鮮人とはなんで関わらんほうがいいか教えてくれる?お前の指導教員も朝鮮人かもしれんが?図書館の司書も事務員も学長も朝鮮人かもしれんが?どうやって関わりを避けるんだろ。デスノートの”死神の目”で見たらその人の名前と寿命が見える、みたいに頭の上にその人の人種が何か見えるのかな。

 

あなたたちが思っているよりも近くに私たちはいる。あなたたちと同じように生活をしている。ただ生活をしている。

なぜ生活をしているだけで心無い言葉を聞かねば、自分を偽らなければ、差別に怯えなければ、ついには殺されるかもしれないと思わなければいけないのだ。

自分がどんな言葉を使っているのかを考えて。どこから排他的で差別的な価値観を仕入れたのかを考えて。

私はあなたの隣人。そしてあなたもまた、誰かにとっての隣人だ。